平成30年『謝楽祭』俳句総評
謝楽祭実行委会
選句
夢月亭清磨、林家正雀、金原亭世之介、大瀬うたじ
第四回「謝楽祭」俳句募集ご応募ありがとうございました。投句は昨年の三百五十九句を超え三百六十句余りの作品が集まりました。選句は無記名句を全員で投票し票の多かった句を討議し「天」「地」「人」「佳作」を決めました。今回は今までになく票が割れ苦労ひとしおでした。兼題「天高し」は秋の季語として世の中にあふれる名句が多いためどうしてもどこかで見たような句になってしまったり、そうならないようにとひねって作句をした苦労を感じる作品が沢山ありました。「手拭い」は噺家のアイテムのひとつですから、高座の上で扱われる様子を詠んだ句が目立ちました。やはり噺家の手拭の所作はお客様にとって魅力的なのだと改めて実感したしだいです。「団栗」は子供の頃のノスタルジーをくすぐるアイテムですからそれを素直に詠まれた句が目立ちました。そこから広がるのか映画「となりのトトロ」を詠んだ句も沢山ありました。さて一昨年は選者が芸人であるからこそ感動する作品が肩を並べ楽しませていただきましたが今回は少なかったのが残念です。また俳句の基礎さえ学べば素敵な作品になる名句への途上作品が目立ったのも今回でした。来年に向けて及ばずながら個人的にでも俳句ワークショップを開ければなどと企画いたしております。ご期待ください。これからも「謝楽祭俳句」が寄席や俳句への興味の入り口になってくれればと思いつつ。是非来年は寄席芸人たちを唸らせる作品をご応募下さいませ。お待ちいたしております。
今回は「天高し」「団栗」「手拭い」各兼題に
「天」一句
「地」二句
「人」三句
そして全句から「佳作」十句を選ばせていただきました。
『天高し』
「天」の句
大入りの二番太鼓や天高し 安藤一政
「地」の句
天高うして失せしものあまた 公世(河野公世)
天高しそろそろアイツの出番かな 大内山実咲
「人」の句
天高し墨絵の心青に溶け 赤坂昇吾
キーパーの蹴る球吸って天高し 柿岡陽樹
天高し似ている名前舘ひろし 高橋未唯
「天高し」は一番票の割れた兼題でした。それだけ此れと言う作品が少なかったのも事実です。その中で「天」に抜けた二番太鼓の句は芸人の心を捕らえました。寄席の太鼓は開演と同時に打たれる「一番」そして開演五分前頃に打たれる「二番」途中休憩の「中入り」最後にお客様をお帰しする時に打つ「追い出し」が有ります。一番は「ドンドンドンと来い」とお客様を呼び込む太鼓で、二番は「ステツクテンテン」とお客様の入りに開演を知らせる太鼓です。このテンテンと叩く音を前座は「天天」と漢字で書いて入門後一番最初に稽古します。締め太鼓の音が抜けるようになれば一人前。太鼓の音が天に抜けるように稽古するのです。この「天」の音と天高しの清々しさが噺家の心を打ちました。秋の空に響く締め太鼓の大入りの音。文句なくテンの音と共に「天」に抜けました。「地」の「天高うして」の句は、二つの局面を詠んだ句です。先ず表は「素晴らしい天候の清々しさに邪悪な物事は失せてしまう。」と言う正の感情と「この秋の晴天を得るためには沢山の大切なものを手放さねばならなかった。」と言う負の感情。秋の空は変わりやすい二つの感情を一句に落とした中々の秀句です。この句は毎年賞に絡んでくる公世さんの作品で他の兼題でも秀句を詠んでいます「手拭いのふつと消えたる小さんかな」間違いなく巧者な詠み手のひとりです。「そろそろアイツの出番かな」はスポーツの秋を感ずる作品です。スポーツ観戦の醍醐味は野球ならここ一番の代打。サッカーならスーパーサブと言われる選手。これが天高しの季語とマッチして秋の心地よさを感じました。「人」、「墨絵の心」の句は「心」と詠まない方が良かったと思います。「天高し墨絵は青に溶けにけり」で充分に句を伝えています。「キーパーの蹴る球」の句。高い空に吸い込まれてゆくサッカーボールの風景。サッカーで天高い球を蹴るのはフィールド選手より明らかにキーパーです。その球を空が吸い込んでいる。高く舞い上がるサッカーボールと吸い込まれるほどの空の青さが印象的な句でした。「舘ひろし」の句を推したのは大瀬うたじ師匠です。それなら「猫ひろし」でもいいじゃないかなどと意見が出ましたが、話し合ううちに舘ひろしと言う役者の背の高さや爽やかを売りにする役柄が春でも無し勿論夏冬でない秋を感じさせるように思えてきて。「似ている名前」の中七の無駄さも笑いを取る手段と滑稽句のひとつとして芸人ならではの選句となりました。
『団栗』
「天」の句
団栗やどれも誰かに似ておりぬ 山田知明
「地」の句
団栗を拾いて童謡口ずさむ 安田蝸牛(安田清一)
俺残し団栗立派な木に成りぬ 杉浦碩真
「人」の句
団栗や七つ違いの兄弟 大福(伊藤恭子)
どんぐりのぼうしがほしいよおかあさん 四條優香
団栗を遊ばせて噛む四畳半 古田聡子
「団栗」似た素材の投句が多かったかもしれません。その中でも天の句の「どれも誰かに」の句は言い過ぎなかった分心を打ちました。発想は「どんぐりの背比べ」からなのでしょうが「団栗や」と上句を切って二句一章にしたのが手柄です。表は転がっている団栗一つ一つは同じように見えてそれぞれ誰かに似ている百羅漢のような個性があるのだと言う感。そして裏には成功者で在れ、スーパースターで在れ、大きな観念から見れば所詮人は団栗の背比べ。切れ字の「や」が奥深い俳句に仕立て上げられました。「地」の「童謡」の句はまさにその通り。「どんぐりころころ」の童謡は日本人として生まれたら一度は口ずさんだ歌でしょう。雪には「ゆきやこんこん」桜には「さくら」。でも突然「さくら」や「ゆき」は歌いださない「どんぐり」は思わず口からこぼれてくる歌です。あたりまえの事をサラッと詠む作者の技量を感じます。「俺残し」の句もノスタルジーにとどまらず。そこに現在の自分を置いたのが巧い。クヌギやシイは中々大きくならない木ですが十年二十年の歳月は人も木も多大な成長をしているものなのです。同じ素材から詠みあげた秀句三句でした。「人」の句も切り口が素晴らしかった三句です。「兄弟」の句は団栗と言う物差しで七年と言う人の世の流れを詠んだ句です。いつから団栗を拾わなくなったのか考えてみました。十三、四歳の頃からでしょうか。七つ下の弟は六歳。しきりに団栗を拾っているでしょう。成長するにしたがって全てのモノの価値観が変わって来るものです。その差を作者は七年と謳った。言い当てているなあと感心の一句です。「どんぐりのぼうし」の句は、私には詠めない世界観に参りました。百句以上並んだ句の中で記憶に残った一句です。平仮名だけの表現も巧かったですね。「四畳半」の句は前句の真逆の世界。団栗から四畳半の大人の世界へ引きずり込まれるとは。「団栗は何の比喩」と作者に聴くのは野暮ですね。
『手拭』
「天」の句
愛想良きゆらり厠の吊手拭い 亀山久美子
「地」の句
手ぬぐいに包みし氷妻渡す たくり(鈴木拓利)
ご苦労さん案山子にかけし豆手拭 秋山樹里
「人」の句
手拭や風の墓場はどこにある 薮内奈那
手拭の色あざやかや秋まくら 伊澤正孝
豆絞り花笠対に跳人なり 福夢(福原幹子)
「手拭い」をマンダラと噺家は呼びます。曼荼羅から来た符丁だと思います。噺家と手拭は付き過ぎていてる言葉。高座で扱うその説明になってしまった句が大半でした。そのため選句はそこから離れたところに行ってしまった感があります。「天」の句に至っては厠の手拭まで離れましたが心地よい句を詠み切ったと感心しました。この句の良さは上五の「愛想良き」が手拭だけに掛かっているのではなく二句一章として上五が存在しているところにあります。ふらっと入った飲食店の愛想の良い女将。一杯飲んで厠へ行くと手拭がぶら下がっている。それが清潔感そのもので、あの愛想の良さはここまで行き届いていたのかと感心した。「厠」という言葉から日本食の店でしょう。そんな風景がこの句から思い浮かんでくるのです。季語らしい季語は有りませんがほわりとした。晩夏、秋の入りの感が票を集めました。「地」の「氷」の句は正雀師匠の推した句です。外の仕事を終え帰ると妻の気遣い。飲み物でなく手拭に包んだ氷の優しさ。手ぬぐいに包む表現がより氷を感じさせてくれました。心温まる一句ですね。「ご苦労さん」の句は炎天に耐え畑を守ってくれた案山子への挨拶句。同時に豊作への感謝なのです。案山子は秋の季語。「人」の「風の墓場」の作者は噺家の符丁で扇子をカゼと言うのを知っていたのでしょうか。扇子に手拭が一対のアイテム。その手拭に風の墓場を訪ねているようで魅かれました。また秋の空をバックに、はためく手拭が目に浮かんできました。風の行く末をを尋ねられて寿限無の「風来末」の言い立ても頭に浮かびました。「色あざやか」の句は昨年「天」に抜けた伊澤さんの作品。昨年は夏のまくらで「天」今回は秋まくらで句を仕立てて来ました。噺家の手拭の鮮やかさとマクラの妙。昨年と同じ角度から詠んだ句ですが昨年ほどの感動を与えられませんでした。それでも「人」の秀句です。「豆しぼり」の句はねぶたの跳人の句。手ぬぐいが活躍する祭りの中でも跳人の巻いた手拭はちょいと粋。しかしこれは花笠あっての事。「跳人なり」と言い切った事で郷土愛を強く感じられました。
佳作
茶を蒸せば手拭い白を手放せり 梅田華露(大沢のり子)
団栗に転がり歩む遍路道 ウララウラベ 占成亭(占部耕三)
天高し街に消えしは秋の色 小宮山岬
煙草入れ財布短冊崇徳院 石川 忠
天高しマリアナ知るは飛べぬ鳥 鈴木真珠子
天高しそこにあるのは夏の青 畑美咲
どんぐりを色えんぴつと転がして 大野美波
どんぐりや紫煙輪に吐く用務員 小野智子
ブナの下小さき背中の探検隊 小川智也
初秋の手拭柔く乾し上がる 鹿澄(望月和美)
佳作は10作ですが惜しくも佳作に止まったものばかりです。次回は是非最優秀賞「天」を目指してご健吟下さいませ。
今年惜しまれつつ亡くなった噺家古今亭志ん駒師匠を偲ぶ追悼句を詠んでお別れします。
香焚きて雪の明日にをりにけり
二ん月の志ん駒よいしょして各位
本当にありがとうございました。また来年も謝楽祭俳句応援よろしくお願いいたします。
代表評 金原亭世之介
俳号 皂角子(さいかち)
平成30年9月9日
一般社団法人 落語協会 謝楽祭実行委員会